【体験談】英語力を求めてオーストラリアの通訳学校に入学…だけのはずが、ワーホリビザを取ってダンス学校の講師に!
2018.08.28
留学くらべーる編集部
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目次
今回は、オーストラリアのメルボルンで留学とワーキングホリデーを経験した7(なな)さんの体験談をお伝えします!
7(なな)さんは、日本企業でのとある経験から、本格的に英語を学ぶことを決意します。
ただ英語のスキルを高めるだけにとどまらない7(なな)さんの行動力は、目を見張るものばかり!
心が折れそうな仕事探しの経験や移民の多いオーストラリアだからこそ得られた教訓など、身になるお話しをたくさんしていただきました♪
ワーホリと留学、どちらにしようかお悩みの方は、「こんなやり方もあるんだ!」と知ることのできる体験談なので、要チェックですよ!
プロフィール
項目 | 概要 |
---|---|
名前 | 7(なな)さん |
渡航した年 | 2013年 |
渡航先の国/都市 | オーストラリア/メルボルン |
渡航時の年齢 | 25歳 |
渡豪のきっかけ
日本の大学で英語を勉強した後、一般企業に就職しました。
ある時、大学で英語を勉強していたから、という理由だけで社内通訳をやらされることになりました。
英語が好き、という気持ちはあったものの、何年も英語から離れていた私には通訳は荷が重いお仕事でした。
幸い、大惨事には至らなかったものの、こんな半端な英語で「私は英語が得意です!」なんて言って、なんとなく英語ができる人生で本当にいいのだろうか?
そういう風に頭をよぎるようになってから、留学を決意するまでの期間はとても短く、気づいた時には退職届を出していました。
どうせやるならとことん!という性格のため、通訳の学校に通うことにした私。
その中でもオーストラリアでの通訳国家資格を取ることができるRMITに入学することに決めました。
自分の英語力に愕然…
メルボルン空港に着いた当日は学校の無料送迎のスタッフが来てくれて、シティまで車で向かいました。
オーストラリア人の運転手との会話もなんなく弾み、あれ、なーんだ英語余裕!と思っていたのですが、すぐにその考えは間違っていたと思い知らされるのでした…。
待ちに待った学校入学日。
通訳の学校なのでクラスは全員日本人でみんな滞在歴は2年以上。
なかには永住者もおり、わたしは当時滞在2週間目でした。
初日の自己紹介の後、「今まで通った学校の中で一番印象に残っている学校を英語で説明してください」と言われ、頓珍漢なことを言ったのを今でも覚えています。
とにかく、クラスで一番英語が下手でした。
クラスにいた半年間、お前は英語できないもんな、と周りに言われ続けましたが、自他共に一番下手と認めていたからこそ、このクラスで一番勉強してやる!という目標をかかげ、毎日死に物狂いで勉強しました。
あんなに勉強したのは、大学受験の時以来だと思います。
トラブルにも負けず、資格をゲット!
3ヶ月経ってようやく生活にも学校にも慣れ始めた頃、大事な中間テストの日が近づいてきました。
その少し前からベッドバグというベッドの中に住む害虫に全身を刺され、全身ブツブツ。
治りかけた頃に急性胃腸炎で救急車に運ばれたり、ようやく落ち着いたと思えば今度はシェアメイトのベトナム人男性からストーカー被害にあい、夜逃げ半ばにシェアハウスを引っ越したりと、なんとも散々な目にあいました(皆さんこういう時のために海外保険は本当に加入するべきです!)。
そんな事件ばかりが集中して起こり、もちろん中間試験はぼろぼろ。
もう諦めるしかないのかな…と半ば諦めていましたが、結果を見るとなかなかの高得点。
これが自信になったのか、無事半年間で通訳の国家資格を取ることができました。
今思い返してみても、とても濃い半年間でした。
帰国かと思いきや、ダンスのためにワーキングホリデービザで滞在延長!
学校が終わって日本に帰国するつもりが、その頃から現地のダンサーと知り合い始め、現地のダンススタジオにてレッスンをもたせていただくようになりました。
そして、その勢いで滞在延長してしまえ!とワーキングホリデービザをとりました(大学の頃から10年弱ダンスをやっています)。
ダンサーは言葉を超えて、皆平等。
ダンスでコミュニケーションを取っているうちに文化や言語の壁を超えてたくさんの友達ができ、日本に戻った今でも私の一番の親友は英語が母語のシンガポール人です。
彼女たちとの出会いがなければ、わたしの今の人生はなかったと思います。
こうしていく間に知り合いも増え、ダンスレッスンやショー・プロモーションビデオの仕事をもらえるようになりました。
現地のダンサーとコミュニティーを作り、イベント企画をすることもありました。
その経験では英語が母語でない人種、そしてアジア人として悔しい思いをすることが本当に多かったと思います。
オーストラリアは移民の国。
移民に関しては寛容とばかり思っていたのですが本当はその逆で、何度も嫌な目に会ってきました。
だからこそ人種、宗教、言語、なかなか日本で生活していると意識しないことを深く考えるきっかけにもなりましたし、そういった枠を超えて対いち人間としてその人のことをもっと深く知ろう!という意識が芽生えるようになりました。
とにかくいろんな人と出かけたり飲みに行ったりということを意識的にしていた気がします。
毎週火曜日はダンサーが集まるバーで、みんなでチャットして飲んで踊って楽しむ時間が何よりも大切な時間でした。
さまざまなお仕事を経験
現地での仕事も幅広く経験しました。
日本食レストランや現地のカフェももちろん経験しましたし、ワーホリビザになってからは運良く、ロンドン本社・現地オフィスの広告代理店に合格し、某航空会社の広告を売っていました。
日本企業でしか働いたことのない私からすると不慣れなことも多く、とにかく会社自体に慣れるのが大変でした。
オーストラリアのワーホリビザは就労期間が決まっているので、同じ仕事をし続けることができません。
広告代理店の次の就職先を見つけるまでは履歴書200枚は配ったと思います。
でもとにかく、オーストラリアでもう一度仕事してやるんだという一心で毎日取り組んでいました。
その甲斐あって、現地の専門学校にてアジア人初めてのマーケティング職に合格することができました。
就活時は3ヶ月間ニートだったので、とにかく精神を保つのが思った以上に大変でした。
ですが、今でもその3ヶ月は貴重だったなと痛感しています。
オーストラリアのセブンイレブンではコーヒーが1ドルで購入できるのですが(当時90円程度)、1ドルコーヒーの価値を噛みしめることができたのはいい経験だったと感じています。
オーストラリア国内を満喫!
それからこの3年間でオーストラリアのたくさんの場所に訪れました。
シドニーには、観光はもちろん、ダンス関連や仕事の出張で10回以上。
それからケアンズ、パース、そしてタスマニア。グレートバリアリーフでのスキューバダイビング、パースのフリマントルのビール工場でチル、タスマニアの美術館巡り。
どれもオーストラリアに滞在する機会があればぜひ試してもらいたいアクティビティです!
最後に伝えたいこと
オーストラリア滞在初期は、中途半端というコンプレックスを抱いていた英語ですが、今でははっきり、得意だと言えます。
マルチカルチュラルな文化の中で生活したおかげで、コミュニケーションにも自信を持てるようになりました。
また、オーストラリアでの現地の友達との生活の中で、
-
自分の意見をはっきり示すこと
- 自分の力を信じてあげること
この2つを特に学んだと感じています。
この力を生かして現在では本業とは別にフリーランスの通訳、翻訳者として活動しています。
正直滞在中は、嫌なこともたくさんありました。
辛い事もたくさんありましたが、日本に残っていたら経験しえなかったさまざまな経験をオーストラリアですることができて心の底から良かったと思っています。
もし迷ってる人がいたらぜひ背中を押してあげたい。
海外に行くのは意外に簡単です。
チケット買ってビザさえ取れば誰でも行けます。
日本から出て、初めて日本のパスポートがどれだけ恵まれているのかを知りました。
本当に限られた国にしか行けないパスポートをもつ国の人たちもたくさんいます。
そのためにオーストラリアの市民権を求めていろんな影のビジネスに手を出す人もいます。
日本人がいかに恵まれた人種であることを生で見て感じることは、海外でしかすることのできない経験です。
もっともっと書きたいことはありますが、書ききれないので、ご興味ある方は滞在中に書いていたブログをぜひご覧ください!
いろいろなことを書いてあるので、助けになったら嬉しいです。
7(なな)さんのブログはこちらから『Hello!Its 7s blog!』
将来の夢に向かって行動をはじめよう!
いかがでしたか?
通訳学校での資格取得、そしてワーキングホリデービザに切り替えてのダンスレッスン、現地企業でのお仕事など、オーストラリアでさまざまなことを体験した7(なな)さんの行動力に勇気づけられるような、そんな体験談でした!
通訳や翻訳者を目指しているという方は、7(なな)さんのようにオーストラリアの通訳学校に通ってみてはいかがでしょうか?
日本ではできない経験をすることで、英語力以上に得られるものがきっとあるはずです。
『留学くらべ~る』では無料で資料請求できるので、気になるプログラムがあればぜひ参考にしてみてくださいね♪